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サンボマスターのアルバムを買った。 彼らを初めて見たのは、スペースシャワーTVだったか、Viewsicだったか、ケーブルTVに入っている、音楽専門チャンネルだった。 目を引いたのは、彼らのルックスが余りにもイケていないことだった。特にボーカルのルックスが酷い。チビでデブで眼鏡だ。爆笑問題の田中と、キャイーンの天野を足して2で割って、さらに顔面を数発殴ったような顔をしている。ボーカルを決める時って、歌唱力に加えてルックスも判断基準にならないか。 ベースもしょぼくれた立松和平みたいだし、ドラムの子は他の二人に比べるとましだが、大したことは無い。 だが、その不細工なボーカルが、マイクにすがりつくようにして、ひたすら真剣にシャウトする。すると、その歌が、その声が重く胸に響いてくるのだ。歌う姿勢そのままに、ひたすら真っ直ぐに。 そうだ、音に乗せようとする熱い想いは、見た目が格好いい奴だけのものじゃない。 私が見たのは「美しき人間の日々」のPVだった。ボーカルが袈裟を着て、寺の境内で歌う。立松和平みたいなベースが自転車に乗って懐かしい町並みを駆けていく。私の知っている場所だった。三浦半島の三崎漁港周辺でロケを行ったようだ。 三崎の漁港は多分、東京に一番近い「地方」だ。東京から京浜急行を、もしくは横須賀線を南下していくと、東京と同じ首都圏の中心地である、横浜の中心地と、郊外のベッドタウン。もしくは工場地帯か、あとは閑静な湘南の別荘地だ。東京の匂いがしない「地方」は三浦半島の先端に到達してようやく現れる。 入り組んだ路地、ダサい看板のスナック、漁港。「地方」三崎の景色は、魚の生臭いにおいが漂ってきそうなほど、人間臭い温かさに満ちている。 サンボマスターの歌も三崎の景色と同じく、ダサくて、人間臭くて、何よりも温かい。六本木ヒルズのような都会的な洗練は決してたどり着くことのない、クサイほどに真っ直ぐで魂を揺さぶる熱さがそこにはある。ダサいけれど、ダサすぎるけれど、それゆえに格好いい。 この「美しき人間の日々」も収録されたアルバムが今日、発売になったというので、会社帰りに買った。そして、電車の中で、ポータブルCDプレイヤー聴いてみた。 歌詞カードを見ながら、改めて聴くと彼らの歌詞が耳につきささるようだ。それに奴らの容姿は改めて本当に不細工だ。ジャケットには、温泉に入っている写真があるが、見るに絶えない(笑)。 だが、それで良いのだ。彼らの歌を格好イイ奴が歌ったら、そこにはどこか嘘がある。容姿に恵まれないからこそ、直球で表現するしかない歌が耳に迫る。 彼らは歌う。現実がどうにもならないことを、全てが幻のように消えうせるかもしれないことを、 だからこそ、全身全霊で愛するしか方法のないことを。 それでもなお、世界は美しいのだと、半ば逆切れのように叫ぶ。 帰りのラッシュで混み合う車内を見渡す。 週刊新潮の中吊りが目に入る。 「朝日『極左記者』とNHK『偏向プロデューサー』が仕組んだ『魔女狩り』大虚報」 NHK特集番組の政治家の介入問題については、日曜日のブログで触れるつもりだった。 けれども、結局、何が真実なのか分からなかった。それに、ブログを初めてまもなく、ウヨサヨの泥試合に参戦するのは気が引けて、結局無難な話題で避けた。 もう一度、新潮の中吊を見上げる。結局、このように扱われてしまうのか。 今回のNHKの問題では、政治家による介入が存在したのか、そうでなかったのか、そもそも、政治家に番組内容を報告することが慣例で行われているような、政治と報道の分離がなされていないことが問題なのだ。従軍慰安婦報道の是非というのは、二の次のはずだ。 従軍慰安婦報道の是非についての問題にすり変えてしまえばしまうほど、そのような主張は「内容によっては、介入もやむなし」という検閲を助長するものへと近づいてしまう。 検閲によって、報道の自由が犯されてはならないことは自明だ。こういう主張は自身の首を締めるだけではないのか。 だが、政治介入の有無、朝日新聞の報道内容の正確さについては朝日新聞とNHKの泥試合の様相を呈していて、何が真実なのか分からない。 ただ、番組のチーフプロデューサーの長井氏が自らの立場と、それによって家族が危機にさらされることを覚悟した上での告発である、ということに泥試合を超えた何かがあるのかもしれない。 耳の中では、サンボマスターが鳴っている。 彼らは言う、「本当のことは何も分からない」と。 日曜日、サンデープロジェクトを見ていた。安倍氏の弁明に対し、私がもっとも違和感を覚えたのは、事実関係ではなく、安倍氏の「偏向」や「捏造」という言葉の使い方だった。 長井氏の上司が、番組内容の変更を安倍氏の名前をちらつかせることで、正当化したのなら、事実関係がどうであれ、安倍氏には説明責任が生じる。それを「捏造」で片付けていいものか。 それに、「偏向」はNHKが是正すれば良いものにすぎず、政治家が介入すべきことではない。彼らにとって、従軍慰安婦というのは、政治介入という禁じ手を使用してでも封殺しなければならない悪なのだろう。 また、これは無論、政治介入の有無という問題と別の問題であり、二の次の問題に過ぎないが、何を持って、「偏向」と呼ぶのだろう。確かに、工作員として認定されているために、入国できない北朝鮮の代表が二人メンバーに含まれていたという話がある(これは密入国で入国して、裁判に参加したということなのか? はっきりした事実プリーズ) また、女性国際戦犯法廷の日本の代表であった松井さより氏は、割と過激なリップサービスをしがちな人間だったという話もある。(逆イデオロギーの石原慎太郎型メンタリティー??←ただし、これは非難先にありきの、右よりのブログで囁かれている話なので、本当のことはわからない) それに、昭和天皇の戦争責任を明確にした、判決部分は菊のタブーに触れてしまうだろう。だが、だからと言って、報道を自粛しなくてはいけないような類のものなのだろうか。自分にはいまいち、ピンと来ない。 保守派の言うように、意見の割れている問題については公平に両論併記にしなければならない、というのならば、たとえば、日本でダーウィニズムについてのドキュメンタリーを放送することには何の異論もないだろう。 だが、アメリカで放送する場合には、ちゃんと神による創造論も付け加えなくてはならないということになるのだろうか。 もういちど、新潮の記事を見上げる。本当に安倍氏も、新潮も「偏向」という言葉を容易に使いすぎる。「偏向」や「捏造」という言葉を、敵に向かって投げつけることで、自らを真っ白な正義の位置に置こうとしているように思う。物事はそんなに簡単ではないだろう。レッテル張りは物事を本質から遠ざける。 耳の中ではサンボマスターが鳴っている。 彼らは言う、「僕はよこしまで、あなたはうしろめたい」のだと。 ブッシュ大統領の後を追うこの国は、彼を見習って、どうしょうもなく、絡み合って複雑な現実を、ハリウッド映画のような簡単な勧善懲悪の物語に押し込めていくのだろうか。だが、その物事を単純化しようとする試みこそが、悪ではないのか。 耳の中ではサンボマスターが鳴っている。 彼らは言う、「僕らが高らかに叫んでも、それでもどこにも届かない」と。 新潮の中吊の右側には、NHKの捏造問題よりも大きな見出しがあった。 「『創価学会』に乗っ取られたNHK『義経』 滝沢秀明(タッキー)も、上戸彩も、石原さとみも、み~んな学会員だった!」 一方で、NHKと学会との癒着を糾弾し、一方で政界との癒着は弁護するというのか。何というダブルスタンダードだろう。 新潮の広告の隣は、学会の女性向け雑誌である「パンプキン」の広告が揺れていた。 ああ、世界はとんでもなく複雑だ。 耳の中ではサンボマスターが鳴っている。鳴り続けている。世界はそれでも美しいのだろうか。 だが、それでも真っ直ぐに叫ぶしかない、彼らの歌が突き刺さってくる。 私はいつの間にか涙を流していた。電車の中だというのに。 ああ、本当にダセえ。 ■
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by fortuna21
| 2005-01-22 01:51
| ニュース雑想
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